そぞろごと

本、鉱物、音楽、etc.

ドラムについて思うこと、その二

宅録にスネアを導入してみたが、やはり慣れない楽器なので、どうも他楽器とのバランスがわるい。もちろん、たんにリズムを送り出す役目だけにとどめておくのなら、いまの状態でもとくに問題はないが、そこは楽器オタクの悲しさで、宅録そっちのけでスネアにのめり込んでいく自分を抑えることができない。これはまずいぞよ。これが嵩じると、ついにはドラムセット一式そろえないと満足できないところまで行ってしまう。

では、かりにドラムセットが手に入り、練習できる環境が整ったとして、自分はいったいそれで何がやりたいのか?

ドラムセットに座ったドラマーにスティックを持たせると、ほぼ全員がなにかリズム・パターンを叩き出す。ロックか、ジャズか、ファンクか、なにかそのへんのリズム・パターン。そしてこれらに共通しているのは、2拍4拍にアクセントがくることだ。

私はたいていのドラマーが、この2拍4拍のアクセントに何の疑いも抱かず、ごくごく当り前のようにオフビートを強調したリズムを叩くのに、じつはちょっと驚いている。だって考えてもみよ。いわゆる文明国に属する文化圏で、こんな裏返ったリズムが主導権を握ったのは、せいぜいここ100年ほどのことにすぎない。西洋のクラシック音楽から日本の俗謡まで、拍子をとるのは頭打ちが基本なのだ。

古い映画などで見る、カラオケがなかったころの手拍子での宴会のシーン。あの頭打ちのリズムのダサさには辟易するが、洋楽になじんだ世代の人々が民謡や演歌などで2拍4拍に手拍子を入れるのも同じくらいダサい。同様に、昨今のドラマーのほとんどが千篇一律のごとくに繰り出す2拍4拍強調リズムのダサさにもやりきれないものを感じている。

じゃあどう叩けばいいのよ、と訊かれるかもしれない。いや、まあそこは好きに叩いてもらえばいいので、私の意見などはどうでもいいのだが、私の好きなドラマーは、2拍4拍のオフビートを感じさせないタイプの人が多い。そして、そういうドラマーの元祖はといえば、マイルスのグループで頭角をあらわしたトニー・ウィリアムスではないかと思う。

初期のトニーがどういうふうにリズムを解釈し、フレーズを組み立てているのか、一聴しただけでは非常にわかりにくいが、腰振りダンスとは程遠いところで展開されるストイックで知的な演奏は非常に魅力的だし、こういう演奏があるがために、ジャズという音楽が一種の敬意をもって迎えられるんだと思う。



というわけで、私の関心の的は、ドラムの王道(バディ・リッチ流の)ではなく、その髄の髄のいちばん精妙な部分なのである。基礎なしで、いきなりこの高みに至ろうとするのが無謀、もっと正確に言えば無理なのはわかっているが、私にはもう基礎からやっている時間がないのだ。

この種のストイシズムを極端にまで推し進めたものとして、私の記憶に残っているのは、意外に思われるかもしれないが、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」だ。この曲の終盤に少しだけ出てくるサンバル・アンティークの演奏。あの絶え入りそうな、しかし凛とした響きを自分の音楽に取り入れることができれば、と思う。