そぞろごと

本、鉱物、音楽、etc.

エロチックな愛とアガペチックな愛

エロスとアガペーというのは、愛のふたつの様態として、よく対比的に使われる。しかしわれわれ日本人としては、両者がどう違うのか、よく分りませんよね。

まあ、違いが分らないというのは、分らなくてもいいということなので、とりあえず置いといて、先へ進もう。

だれが言ったのか忘れたが、こういう言葉がある。

「死ぬとはどういうことかって? モーツァルトが聴けなくなることさ」

モーツァルトが大好きな人にとってはそうなのかもしれない。しかし、よくよく考えてもみよ。モーツァルトの音楽などは、とくに私が聴かなくても、世界中の人が聴いている。世代を超え、国を超え、人類の共通遺産として、万人の愛の対象になっている。こういうのは私には非常にアガペチックな愛に思われる。この場合のアガペーというのは、博愛というよりは、人類という大きな集団のもつ、偏愛のことだ。モーツァルトベートーヴェンなんて、門外漢には同じようなものだが、どういうわけかモーツァルト党やらベートーヴェン派というふうに、偏愛の流れができてしまうのである。

その一方で、もし

「死ぬとはどういうことかって? フランス・ギャルが聴けなくなることさ」

という人がいるとすれば、私にはその人が非常にエロチックな人に思われるのである。もちろんこの場合のエロチックというのは、フランス・ギャルの写真を眺めてニヤニヤしているとか、そういう意味ではない。フランス・ギャルという、ほんの一過性の音楽の中に、自分の好みに完全にマッチしたものを見出して、自分と彼女とのあいだに抜き差しならない個人的かつ一回限りの関係を結ぶことが、エロチックなのである。

モーツァルトへの愛の一般性、普遍性と、フランス・ギャルへの愛の特殊性、個別性とを対比させてみて、前者をアガペチックな愛、後者をエロチックな愛というふうに私は考えている。

あと、蛇足ながらつけ加えておくと、アガペチックという言葉は私がアガペーから勝手に作り出した言葉ではない。意味は多少ずれるが、ἀγαπητικὀς という字は古典的なギリシャ語として、辞書にもちゃんと載っている。