そぞろごと

本、鉱物、音楽、etc.

音楽におけるヴァンピリズム

ギターを手にしてすでに半年が過ぎた。なんという早さだろう。ついこの間始めたばかりのような気がしていたが……

いっぽうこの半年間、私の本来的な楽器であるベースにはほとんど触っていない。本妻をほっぽらかして愛人に熱をあげている男のようで、内心忸怩たる思いがある。

……というのはまったくの嘘で、順序からいえばギターこそがわが本妻、ベースはあとからきた愛人なのである。なぜギターからベースに乗り換えたかというと、そっちのほうが人前で演奏する機会が多かったから、というほかない。じっさい、ウッドベースをもっていれば、どこかのバンドに潜り込めたし、そうやっていくつものバンドを渡り歩くのが若年の私には楽しかった。

まあ、そういう時期もすぎて、いまはギターとかつての関係を取り戻しつつあるところだ。

さて、私はCDに合わせて即興的にギターを弾くのが好きなのだが、最近ではバルトーク弦楽四重奏をかけることが多い。この前衛的かつ変態的な曲集は、かつては洒落で聴いていたが、ギターと合わせるようになってから、やっと本格的に耳を傾けるようになった。


Bartok: String Quartets

Bartok: String Quartets


私は必ずしもバルトークのよい聴き手ではないけれども、この音楽史上に屹立する魔人(?)については、前から一種の思い込みがあって、それは、バルトークこそは音楽におけるヴァンピリズムの体現者ではないか、というもの。

ヴァンピリズム(vampirism)というのは、辞書をひくと、吸血鬼信仰だとか、吸血行為もしくは膏血をしぼりとること、などの説明があるが、私としてはもっとゆるく、世間によく見られるような、吸血鬼愛好というほどの意味で使っている。吸血鬼の愛好者というのは、世の中に一定数存在していて、本などでも吸血鬼という字が題名に入るだけで売れ行きがよくなったりすることもあるようだ。

バルトークはいろんな点で吸血鬼と親和性が高い。まず彼がハンガリーの生まれであること。吸血鬼の本場がハンガリーであることを思えば、両者になんらかの関係を認めたくなるのも当然だろう。

それから次に、彼が民謡を採集したことがあげられる。どういうつもりでそんなフォークロアまがいのことをやったのか知らないが、ここにも私はヴァンピリズムの匂いを嗅ぎつける。というのも、吸血鬼の魅力は、土俗的なものと貴族的なものの混淆にあると考えられるからだ。

彼の代表作のひとつに「青ひげ公の城」がある。この青ひげ公というのは、ペローの童話に出てくる残忍な貴族で、そのモデルは十五世紀フランスのジル・ド・レーだといわれている。ジルは生きている吸血鬼の代表格として、その手の本には必ず取り上げられるし、それと対をなすエルゼベート・バートリは、バルトークと同じくハンガリーの生まれだ。

あと、思いつくままあげてみると、まずバルトークの風貌。あれで唇を赤く塗って、牙を生えさせたら、そのままドラキュラ役として通用するのではないか。それから彼のベラ(もしくはベーラ)という名前がある。これはどうしたってドラキュラ役で一世を風靡したベラ・ルゴシを連想させずにはおかない。

昔の無声映画、たとえばムルナウの「ノスフェラトゥ」を見ながら、弦楽四重奏曲をバックに流してみれば、いかに彼の音楽が吸血鬼と相性がいいかよくわかると思う。