そぞろごと

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ガボール・ザボについて

私の知り合いに、CDは一回しか聴かないという人がいる。理由を訊けば、CDというものは最初に聴くのが感動のピークであって、2回目以降はその感動がだんだん薄れるだけなので、一回だけで十分だ、ということらしい。

これは私の聴き方とは正反対だ。私は一枚のCDを何度も聴くのが好きだからで、いままで一回聴いただけで好きになったり、わかったと思ったCDは一枚もない。音楽に関しては徹頭徹尾「漸悟」の方なのである。

というわけで、この夏はガボール・ザボの2枚(正確にいえば4枚)を聴いて過ごした。どちらも夏に聴くにふさわしいCDだと思う。


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星野秋男氏の紹介によれば、

ガボール・ザボはジプシーの哀愁を感じさせる非常にユニークなギタリストだ。ジャンゴの影響を感じさせるが、二本の弦で同じ音を出す奏法は、何でもないようでいて意外なほど独特の味を出す。この奏法はシタールからヒントを得たのであろうか? 風変わりなサウンドを好むチコ・ハミルトンのグループ・カラーに彼のギターはよくマッチしていた。彼がもっともオーソドックスなプレイをしたのはチャールス・ロイド '65年吹き込みのCBS盤(CS9212)だろうが、逆に最も個性に乏しかった。近年はコマーシャルなアルバムが多い。
~「ジャズ批評」39号、1981年より


とのことだ。

シタールからヒントを得たのであろうか?」とあるように、彼の音楽からはそこかはとなくインド風味が漂うが、それはあくまでも味付けだけにとどまるので、後年のマクラフリンのようなあられもないのめり込み方はしていない。

そういえば、高柳昌行ガボール・ザボを九天の高きにもちあげ、マクラフリンを九仭の底へ落としている。これはいったいどういうことだろう。

高柳はマクラフリンの才能に嫉妬しているのだろうか? その傾きもあるけれども、おそらく彼の音楽の底にある「下品さ」を嫌悪していると見る方が正しいだろう。その華麗なテクニックと、高度の音楽的素養にもかかわらず、マクラフリンの音楽にはふしぎに品格が感じられない。

そこへいくと、ガボール・ザボのほうは下世話なことをやっていても、非常に清潔な魂の存在を感じさせる。この清潔さはギタリストにあっては稀有のもので、ひと夏かけてCDを聴き込むことで、私にもはっきり味解することができた。

人によっては、ザボなんて機材もしょぼいし、テクニックも中途半端で物足らない、というだろう。しかし、彼のフレーズがたとえ鼻歌に聞こえるにしても、それは全身全霊で歌われた鼻歌なのである。