そぞろごと

本、鉱物、音楽、etc.

人もすなる断捨離というものを……

老境が迫っているこの時期において、これ以上モノをふやしてどうするのか、という気持がある。若いころには無数にあった可能性のひとつひとつが、いつしか実現不可能なものになっていく、そのことを人は老いと呼ぶのだ。そして、実現できたものも、できなかったものも、すべてが思い出になってしまう時期がいずれ必ずくる。そのとき、はたして身辺にモノが必要であろうか?

いや、必要などころか、じゃまなだけだ。死んでしまえば、残されたモノたちは遺族の迷惑に変わるだろう。

そんなわけで、今後はなるべくモノは買わずに、むしろ処分の方向に進もうと思っているが、なかなかそううまくは行かない。欲しいモノを買わずにいるのは、人生を味気なくするだけだ。そんなのは御免こうむるとして、一方で確実に要らないものは存在する。それを徐々に放出して行きましょう、というのが今の私の考えだ。

きょうも机の上に置いてあった新田義弘の「現象学と解釈学」をぱらぱら眺めながら、「もういい!」と思ってしまった。なにがもういいかといえば、思想関係の書物はもういらない、ということ。

この本はかつて通読して、いちおう内容は把握しているつもりだったが、久しぶりに見直すと、そのうちの一行として自分のものになっていないことに気づく。まったく未知の文字列がページに並んでいるのである。考えてみれば、かつて読み漁った哲学関連の書物で、内容をちゃんと理解しているのがどれほどあるか。あれほど熱中したカントやライプニッツの、いったい何を私は知っているのか?

けっきょくのところ、自分の背丈に合わないものはもっていても仕方がない、ということだ。いずれは読むかと思って買った外国の書物も、もう当該外国語を習得するには遅すぎるという状況にさしかかっている。いまさらじたばたしても始まらない。背伸びして買いこんだあれやこれやを手放すときがきている。


現象学と解釈学 (ちくま学芸文庫)

現象学と解釈学 (ちくま学芸文庫)