そぞろごと

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ギターその後

夜間の練習用にエレキギターを購入。アマゾンで一万円で買ったものだが、値段のわりにはよくできている。おそらくバンド演奏でもそこそこ使えるのではないか。

このエレキでおもにコードを押さえる練習をしているが、気をつけなくてはいけないのは、エレキでできたからといって、アコギでもできるとは限らないことだ。弦の張力やアクションがかなり違うので、当然といえば当然だが。

いずれにしても、こうしてアコギとエレキとふたつ身近に置いてみると、これまでギターなしにやってこられたことが信じられないくらい、両者ともに私の心に食い入ってくる。

ギターを始めて気づくのは、これまでと音楽の聞こえ方が違ってくること。これはほんとにふしぎで、無意識のうちに「この曲をギターで弾くにはどうしたらいいか」というようなことを考えている。そのことの是非はともかくとして、汎音楽という見地に立つためには、ピアノやギターなどの、いわゆる完全楽器に親しむことが必要なのではないか。


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いま「汎音楽」と書いたが、私がこの言葉を知ったのは高柳昌行の文章からだ。その高柳の文というのは、ジャズ批評の39号、「ジャズ・ギター」に載った「ジャズ・ノート、批判と断想」というもの。これがすばらしくおもしろかったので、私は高柳のファンになった。ギタリストとしてではなく、文筆家として。

ところで、最近彼の論稿をあつめた「汎音楽論集」なるものを読んでみたが、これははっきりいって愚著に近かった。それは、Youtube などで聴取するかぎりでの彼の演奏が愚劣なのと軌を一にしている。どうしてこうなったのか。思索の果てにあるものが僻見であり、汎音楽の極みにあるはずのものが、たんなる騒音だとは?


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さて、上記の「ジャズ・ギター」のなかでもすばらしいのが、星野秋男氏の書いた40ページにも及ぶ論稿「世界のジャズ・ギタリストたち」だろう。ここに紹介された音源は、当時でこそ稀少だったが、いまでは復刻CDや Youtube などで手軽に聴くことができる。なんとありがたい時代になったことか。

私は自分のギター再開を祝して、この論稿に紹介されている名盤のうちから、高柳も推奨するガボール・ザボを数枚と、マクラフリン(g)の入っているケニー・ホイーラー(flhrn)の初リーダー作を買ってみた。60年代の音楽に特有のノスタルジックな雰囲気がすばらしい。