本の余白に

読書メモ

大岡信の死によせて


大岡信が亡くなった。
あまりよく知らない人だが、まったく知らないわけじゃない。
雑文と、単行本一冊くらいは読んだかな。
まあそんなものはどうでもよくて、詩人だから詩を読まないと話にならないだろう。
そう思ってうちにある「戦後名詩集」を開いてみる。

わるくない。まったくわるくない。
そりゃあたりまえだろう。
厖大な詩業からわずか数ページの、極上の詩篇を集めてあるのだから。
これでつまんなかったら、ほんとにダメな詩人ということになる。

じっさい、他の詩人のものでも、この詩集に入っている詩はすばらしいのが多い。
詩はアンソロジーで読め、といったのは丸谷才一だった。
まことにもってそのとおり。

どこへゆく。
さわることの不安にさわる。
不安が震えるとがった爪で
心臓をつかむ。
だがさわる。さわることからやり直す。
飛躍はない。
(「さわる」より)


飛躍はない、というのがいいではありませんか。ほんとは飛躍はあるんだけどね。その飛躍が、詩を散文から分かつ境界線だろう。

奇体にも懐かしい名前をもった
すべての土地の聖霊
時間の列柱となって
おれを包んでくれ
(「地名論」より)


土地の精霊、すなわちゲニウス・ロキである。こういうたんなる合言葉に堕しやすい言葉を詩の中に生かして使っているのがすばらしい。

こびびとよ きみの眼はかたつてゐた
あめつちのはじめ 非有だけがあつた日のふかいへこみを
(「丘のうなじ」より)


やはり詩における恋人への呼びかけは「こひびと」にとどめをさす。この詩句に「非有」という観念的な言葉がなかったら、大正時代の詩かと思うだろう。

見よ かの孕み猫を
しなやかに


満ち足りて
臆面もなく


笹に腹をこすつて
目を細めてゐる


命の本質
ぴくぴく息づく保守性が


いま笹に腹をこすつて
目を細めてゐる


ああこの!
ことばなきうたよ


瞼の裏には蔵つてゐるナ
炯々たる眼光を


後ろ肢の温帯には下げてゐるナ
ふうわり閉ざせるピンクの悪所
(「詩とはなにか」より)


飛躍しないことにおいて飛躍する大岡信の面目躍如たる詩篇