そぞろごと

本、鉱物、音楽、etc.

デマントイド・ガーネット

12月の鉱物ということでアゼルバイジャン産の柘榴石を買った。売り手によれば、デマントイド・ガーネットという名前らしいが、はたしてこれが正しいかどうか、産地も含めてはっきりとはわからない。


Demantoid Garnet - Belqeys Mountain, West Azerbaijan


色は濃いグリーンで、透明度はかなり低い。色合いは前に買ったフローライトによく似ている。フローライトに似ているというだけで、なんだか妙に安物くさく感じてしまうのは偏見だろうか。

あと、ウバロバイトと呼ばれる鉱物もガーネットの仲間らしく、前に買ったロシア産のものと並べて写真を撮ってみた。



画像ではよくわからないが、ルーペで見ると、両者は色合い、質感ともにあまり似ているとはいいがたい。

まあ、たとえこれがデマントイド・ガーネットでなくても、緑色の柘榴石のような鉱物というだけで、私の好奇心は満足する。

クイーンと「ミュージックライフ」

クイーンを扱った映画が公開されているらしく、その関連でか、こういう動画がアップされていた。


私はこれで東郷かおる子さんの顔を初めて知った。名前と、それから文章は、大昔にミュージックライフで知っていたが……

それにしても、なんという懐かしさだろう。画面にずらりと並んだミュージックライフの表紙。そのうちの一冊はたしかに私も買った。思えば、私はミュージックライフを読みながら育ったようなものだ。そして、クイーンは私が最初に熱中したロックバンドだった。

ラジオから聞こえてくる「キラー・クイーン」。これにがつんとやられたのである。歌っているのはてっきり女性だと思っていたので、レコード屋でジャケットを見たときは驚いた。

まあそれでも、当時はまだフレディも長髪で、写真ではメイクをしていたりと、けっこうカッコよかったんですよ。そのころ私は中一か中二で、シングル盤の「キラー・クイーン」を買ってきて、一日中そればかり聴いていた。家族はあきれて、なんべん聴いたら気が済むの、と小言をいっていた。

それからラジカセを親に買ってもらい、クイーンのミュージックテープを三枚目の「シアー・ハート・アタック」からさかのぼるようにして、三巻手に入れた。で、明けても暮れてもそればかり聴いていた。

そのうち、四枚目の「オペラ座の夜」が出るというので、私の熱はいやがうえにも高まった。そして、これをFMで首尾よくエアチェック(!)したときは私の興奮もマックスに達していた。しかし──

うーん、どうもこれがよくないんですよね。今思えば、よりポップになり、ソフトになり、コーラス中心になったのが、私にはつまらなく聞こえた原因ではないか。とにかくここでクイーン熱が一気に冷めてしまい、その後はまったく聴くことはなくなった。

熱狂的なクイーン漬けの日々は、だからおそらく一年くらいしか続かなかったことになる。

しかしまあ、それでよかったんだと思う。クイーンは、私が本格的に音楽を聴きだす最初期を画するバンドとして、自分の記憶のなかにはっきりと刻印されている。私にはそれだけで十分なので、話題になっている映画もたぶん見ないだろう。それはおそらく、私の記憶にあるクイーン、ミュージックライフ的なクイーンの印象をべつなものに変えてしまうだろうから。

ルイ・マル「地下鉄のザジ」

これも大昔見たものの再鑑賞。コメディはアメリカのものがダントツでおもしろいが、フランスもなかなかやりおるわい、といったところか。

そういえば、私がはじめてパサージュなるものを知ったのもこの映画の中でだった。そのときは、こんな夢のような商店街が実際にあるとは思いもしなかった。その後何年も経って、ベンヤミンの「パサージュ論」を読んだとき、はじめてそれがパサージュと呼ばれる建造物であることを知った*1

そうだ、パリはベンヤミンの、いやボードレールの昔から、たしかに遊歩に適した街なのである。この映画に出てくるトルスカイヨンは、正体不明の怪人物だが、その実体は「パリの遊歩者」ではないかと思う。


地下鉄のザジ [DVD]

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*1:マンディアルグの短篇「ポムレイ路地」は、le passage Pommeraye で、ナントに実在するパサージュを舞台にしている。たんなる「路地」ではないのである

ルイス・ブニュエル「小間使の日記」

をDVDで見る。

今回は原作を押さえていたので、30年前に見たときほど五里霧中の感じはなかった。むしろ分りやすすぎるくらいだ。

冒頭の、馬車での出迎えのシーン。ここでいきなりのジョゼフ登場に面食らうが、しかしこのバカボンパパみたいなおっさんがジョゼフとは! ううむ……

映画は、エピソードの羅列のような原作から少女殺しの部分をクローズアップして話を組み立ててある。それと、原作では冒頭でちょっと出てくるだけの靴フェチ男が、映画ではわりあい大きく扱われていて、これはたぶん最後のジョゼフ逮捕の場面に証拠として出てくるドタ靴の伏線にもなっているように思う。

いずれにせよ、原作にあった暴力と背徳と官能が、映画では大幅に薄まってしまっている。

それと引き換えに、原作ではさほどでもなかったインテリアの描写が映画ではかなり強調されていて、私のようにインテリア好きの人間にはこれだけでもたまらない映画だ。

インテリアつながりというわけでもないが、映画では靴フェチの大旦那様がセレスティーヌにユイスマンスの「さかしま」の一節を読ませるシーンが出てくる。これも前にはまったく気がつかなかったが、じっさいミルボーの原作は「さかしま」とよく似ている。デ・ゼッサントが蒐集するのが珍奇な古物だとすると、セレスティーヌの蒐集するのは生きた奇人変人との接触であり、その思い出である。そして、両者ともに、その背後には黒々とした人間性への嫌悪がわだかまっている。


小間使の日記 [DVD]

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オクターヴ・ミルボー「小間使の日記」

ルイス・ブニュエルの「小間使の日記」。これは大昔にビデオで借りて見たことは見たが、いまとなっては内容をまったく思い出せない。まあ、この映画に限らず、ブニュエルの映画はどれもみな夢のなかの出来事のようで、あとから思い出そうとしてもうまく行かないことが多いようだ。

さて、この映画の原作であるミルボーの小説だが、かつてはこれの訳本がけっこう出回っていて、たまに古本屋で見かけると、ビニールでカバーがしてある。本が傷むからという理由のほかに、18禁という意味合いもあったらしい。なるほどその手の本なのか、と思うと、ますます魅力的に見えてくるのだった。

当時フランスではこの本のペーパーバックなどはいくらでも出ていて、安かったので一冊買って通勤の電車のなかで読んでいた。しかし、おそろしいことに内容がほとんど頭に入ってこない。ただそのインモラルな雰囲気が、なんとなくブニュエルの映画と共通しているな、というだけの認識に終ってしまった。これはなんといっても私の語学力不足が原因だ。

あれから30年。ふとした気まぐれでふたたびミルボーの本を通勤電車で読んでみようという気になった。本を取り出してページを開くと、30年前と変らない匂いがする。なんとなく石油臭い匂いで、私にはたまらなく懐かしい匂いだ。

さて、このたびの車中読書だが、前とは比較にならないくらいさくさく読めた。やはり30年という年月は大きい。

それにしてもなんという小説だろう。フランスの自然主義文学というのはこういうものなのか。とにかく人間性の底の底にあるどろどろしたもの、猥雑なもの、邪悪なものをこれでもかとばかりに並べ立ててある。

作中人物では、下男のジョゼフというのが一種の悪魔か吸血鬼のような存在として描かれているのが印象的だった。この造形はかなりのもので、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」とともに、世紀末のぎりぎりになって吸血鬼が本来の男性的存在に立ち戻ったことを立証する*1

これを読んで、もう一度ブニュエルの映画を見たくなった。

*1:マリオ・プラーツいわく、吸血鬼は19世紀の前半は男性的存在だったが、後半にいたって女性的存在になった、と